2010年12月 7日

高学歴の親の子供は「死」をネガティブに捉えない傾向が認められる - スラッシュドット・ジャパン
初等教育での死の教育はどうなってるんだっけ?
自分はあまり触れられた記憶はないけど。

コメント[3]

「デス・エデュケーション」て呼んで実践してる意識の高い人も一部に居るみたいだけど、一般的ではないよ。
ただ、いのちの教育(命の大切さがどーのこーの、死の教育とコインの表裏の関係)も含めると、ドマイナーでもない感じ。

道徳の学習指導要領(学習内容に関する法律みたいなもんね)の中に「生きることを喜び,生命を大切にする心をもつ。」(低学年)「生命の尊さを感じ取り,生命あるものを大切にする。」(中学年)「生命がかけがえのないものであることを知り,自他の生命を尊重する。」(高学年)といった文言があるし、この辺りを根拠に、道徳の授業時間の中で実践している人はいるよ。
(簡単な書き方になっているのは、現場の教師の自主性を最大限に活かすため)

ちなみにおれも、自分がそういう教育を受けた記憶は無い。
死について考えたのは、去年のトムラウシ山遭難事故から暫く、山岳遭難ものの本を読み漁ってた時期くらいかなあ。

なるほど・・・

死に関しては人から何らかの価値観を植え付けられるべきもんじゃないと思ってるし、考えるきっかけを与えるとしてもそれは先生じゃなくて親の仕事じゃないかなと。
死生観なんて宗教観や環境によって結構変わるもんだと思うし、公教育でやるのは困難だろうね。

自分の体験としては、中学の時にクラブの後輩が亡くなったことがあって、それ以外には人の死に直面したことは未だないから、恥ずかしながら(?)どうにも自分の死に対する感覚を掴み切れてない。
ただ、その時の感覚は喪失感とか悲壮感ってもんじゃなくて、単純にああ、もう会えないんだなあっていう・・・何だろうね?上手く書けないけど。
その後輩は病気がちで元々あまり会うこともなかったから元々関わりの深い方でもなくて、心がそういうドライな反応を示したのかもしれない。

いずれにせよ、未だに自分の中にある死生の感覚を自分で全く把握できてない未熟な人間だし、考えてみたいなとは思ってる。
これから先身近で何か不幸があったときに考えるのでは・・・遅いかなと何となく思ってるし。

まあおれも知り合いが死んだことがないクチだけどね。
実際、今までで一番ショックだったのが、お笑いのカンニング中島が亡くなった時だったもん。
それが最も身近な死だったと。
 
公教育にできることは、考えるきっかけを提供するくらいと思う。
聖職者や医者みたいに数多くの死に対面してる人でもないのに、生と死を語ったり、ましてや「だから命を大切にしましょう」「だから一所懸命生きましょう」なんて優等生の価値観にゴリ押ししていくのだけは避けたい。

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